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守進① ※R-18

  • 2025年11月2日
  • 読了時間: 16分

更新日:6 日前

 ※時代設定がパワプロ7当時のものとなっています。

 ※主人公の名前は「小波」です。

 ※守の一人称がセリフと地の文で異なっていたり、たまに「僕」と発言したりするのは仕様です。

 ※雰囲気を出すために当時の選手の名前を登場させていますが、この作品はフィクションですので実在の団体・人物・事件とは一切関係ありません。




 高校に上がってしばらくして、兄さんに恋人ができたという噂を耳にした。

 それを聞いたとき、僕は胸が軋むような痛みを感じたのを覚えている。

 この痛みはなんなのかと考えて、そのときの僕は『大好きな兄を取られてしまったようで寂しいのだろう』と自分を納得させた。

 けれどそれよりも驚いたのは――兄さんのその恋がまったく長続きしなかったことだ。

 兄さんは誤解されることも多いけれど真面目で誠実な人だ。相手を好きでないなら交際なんか始めるはずもないし、多少なりとも好意があるから了承したのだと思っていた。

 だけど「なぜ」なんて不躾なことを聞くわけにもいかなくて、ずっとその疑問は僕の中に燻っていた。


「進、帰るぞ」

「はい」

 部活が終わり、着替えを終えた僕たちは並んで帰路につく。

 そんな僕と兄さんを部活の先輩たちは「猪狩くんと進くん、一緒に帰ってるでやんすか?」「仲良いよなあ」と不思議そうに眺めていた。

 兄さんは「ふん」と不機嫌そうに鼻を鳴らし、無言ですたすたと先を行ってしまう。

 僕はどう答えたらいいのかわからなくて、先輩たちに愛想笑いを浮かべてから「兄さん、待ってくださいよ」と慌てて兄さんの背を追いかけた。

 兄さんと僕が一緒に下校するようになったのは、兄さんが例の恋人と別れてからだった。

 もしかしたら、兄さんは『新しい恋人ができたからいまの彼女と別れた』と思われないようにするために僕と帰っているのだろうか。

 僕たちは兄弟だから、こうやって一緒に歩いていても『仲のいい兄弟』だとしか思われない。きっと、手を繋いでいたって『異様に仲のいい兄弟』としか思われないのだ。

 そう考えるとなぜか不思議と寂しくなってしまった。

 なぜ寂しいと感じてしまうのか――その答えは既に出ていたのかもしれないけれど、僕はあえてそれを考えないようにしていた。


 ***


 彼女のことは好意的に思っていたし、だからこそ告白を受け入れたはずだった。

 けれど、彼女と過ごしているうちに自分が何かをごまかそうとしていることに気がついて、それがあまりにも不誠実に思えてならなかったために別れを切り出した。

「兄さん」

 自分の横を並んで歩く進の、少し低い位置にある顔を見下ろす。

 目が合うと進は頬を淡く赤らめながら嬉しそうに微笑んだ。僕はそんな進の愛らしい所作に目を細め、無言でその手を取ってそっと指先を絡める。

「兄さんは心配性すぎですよ。僕だってもう小さな子供じゃないんですから」

 僕の手を握り返した進は困ったように眉尻を下げた。

 進と一緒に下校するようになったのは、進との時間を作りたいと思ったからだ。手を繋いだのはただ純粋に触れたかったから。

 進と他愛もない話をして笑い合う時間が楽しくて仕方がなかった。しかし、こうして進が隣にいてくれることを嬉しいと思う一方で、胸の奥底では違う感情が渦巻いている。

 この感情は何だろう?

 幸せなはずなのにどこか物足りないような感覚があった。もっと近くに寄りたいという欲求があって、抑えきれないほどの衝動に駆られてしまいそうになるのだ。

「兄さん?」

 進の声にはっと我に返る。つい物思いに耽ってしまっていたようだ。

「何でもない。……寒くなってきたな」

「そうですね。もう日も沈みかけていますし」

 進は小さく身震いをする。秋空を吹き抜ける風は冷たく、空気は乾燥していた。僕は進の肩を抱き寄せると、コートで進を包み込むようにして身を寄せる。

「これで少しは暖かいだろう」

 進は一瞬驚いた表情を見せたあと、「ありがとうございます」と囁くように答えた。進の頬がさらに赤くなっているのが見え、僕の胸はまたしても締め付けられるような感覚に襲われる。

 ……僕は進のことが好きなのだろう。可愛い弟であると同時に、一人の人間として愛している。こんな感情は抱いてはいけない。それは理解してるのに、気づけばいつだって進のことばかり考えていた。

 道端の枯葉が風に舞い、舗道の上をクルクルと回る。その向こうに見える夕陽は朱色に染まっており、町並み全体が淡くオレンジ色に包まれていた。


 ***


 その日は兄さんからお風呂に入ってもらったので僕はソファーに腰をかけてテレビを観ていた。

 家のお風呂は広いから兄さんと入ることもできるけれど、今の僕にとってそれは少し刺激が強すぎる。兄さんの体つきはますます男らしくなっていて、正直あまり長く見ていられないのだ。

(……昔はよく一緒に入っていたのに)

 そう思うとまた少し切ない気持ちになってしまう。

 あの頃のままなら、こんな苦しい想いをすることもなかったのだろうか。過去を振り返ったところで仕方がないことはわかっているけれど、それでも……と考えてしまうのはただの逃避に過ぎないのかもしれない。

「進」

 そんなとりとめのないことを考えながらテレビ画面を眺めていると、ふいに背後から名前を呼ばれる。

 いつの間に上がっていたのか、そこにはパジャマ姿でタオルを頭に被せた兄さんが立っていた。少し長めの髪からはまだ雫が滴り落ちていて、毛先までたどり着いた水がポタリと落ちて兄さんの頬を滑る。

「あ……兄さん」

 視線がその一連の動きに吸い込まれていく。

 首筋から鎖骨へ流れる水滴の動きを目で追っていき、胸板のあたりでピタリと止まった。シャツ越しにわかる膨らみ。鍛えられた腹筋。すべてが艶めかしく映り込み、喉の奥がじんわりと渇いていく。

 兄さんの濡れた体が妙に生々しく見えて息が詰まるような思いがした。視界の端っこで揺れる湿った茶髪すら官能的に見えて、そんな自分に気がついた僕ははっと息を飲み込んだ。

 ――まずい。

 これは確実にいけない感情だ。僕は思わず目を逸らす。今すぐ逃げ出してしまいたくなるほど恥ずかしかったし、居ても立ってもいられない気持ちになったのだ。

「そうだ、喉乾いてるんじゃないですか? 冷蔵庫にスポーツドリンクが入ってましたよ」

 ごまかすように口を開けば思った以上に早口になってしまった。

 兄さんは「そうか」と短く返事をしたあとキッチンに向かい、スポーツドリンクの入ったペットボトルを手に取るとソファへと腰を下ろす。

 ボトルを握ったその手は骨ばっていて逞しかった。

 そのまま目線を移していくと次に飛び込んできたのは兄さんの喉仏だった。太く突き出たそれにごくりと唾を飲み込んでしまう自分はなんて愚かなのだろう。

 もう一度ゆっくりと深呼吸して意識を落ち着かせようと試みる。しかし一度認識してしまったものは簡単には消えてくれないもので、再び兄さんの手が視界に入った途端に心臓が大きく跳ね上がった。

「……僕もお風呂に入ってきます」

 その場にいるとどうしても意識してしまうため、僕は逃げるようにソファから立ち上がる。浴室へ向かう途中も心拍数が収まることはなく、僕は慌てて服を脱いで浴室へ飛び込んだ。

(……ああ、もう)

 シャワーのコックを捻りお湯を出す。熱い湯が頭から流れ落ち排水溝へと吸い込まれていった。

「兄さん」

 ぽつりと呟くように名前を呼ぶ。その声は自分でも驚くほど弱々しく震えていた。

 兄さんはいつだって僕の憧れで目標だったはずなのに、いつからこんな風になってしまったんだろう。

「……兄さん」

 もう一度呼んでみる。今度ははっきりとした声で呼ぶことができたけれど、それでもまだ足りなくて何度も何度も繰り返した。

 まるで呪文のように繰り返すうちにどんどんと熱に浮かされたような気分になっていき、気がつけば僕は兄さんの名前を呟きながら自らを慰めていた。

「っ……ふ」

 自分の手の中にあるそれが緩く勃ち上がっていることに気がついて溜息が出る。こんな浅ましいことをしている自分が嫌になりつつも、一度始めてしまった以上は止められないため、羞恥心を押し込めるように手を動かした。

 僕のものより大きくて節くれだった兄さんの指先を思い浮かべる。あの手が自分のものに触れているところを想像しながら動かすとその快感は何倍にも膨れ上がった。

 官能的な記憶に自然と腰が揺れる。先端から溢れ出す先走りを掬い上げるようにして茎全体に塗り込んでいき、滑りがよくなったところで手を上下させていった。

「兄さん……っ」

 そう声に出した瞬間、頭の中で兄さんの低く掠れた囁き声が再生される。それはいつものような優しさだけを含んだものではなくて、熱を帯びていて妙に艶めかしかった。

『進』

 想像の中の兄さんが僕の名前を呼ぶ。それだけで背筋がぞくりと震えた。そのまま兄さんの長い指が僕のものを扱く姿を想像すると、自然と唇の隙間から吐息が漏れた。

『進』

 また名前を呼ばれる。それはとても甘い響きを持っていた。心臓がどくんどくんと脈打つ音が聞こえるくらい鼓動が高鳴っている。全身が熱くなり額からは汗が滲んだ。

(だめなのに)

 頭ではわかっていても止められない。

「んっ……ぁ、にいさん……」

 ぐちゃぐちゃになった思考の中でも兄さんという言葉だけははっきりと言えた。

 やがて絶頂を迎える寸前、ふと兄さんの裸体がフラッシュバックした。部活のあとの更衣室で見た、鍛えられた筋肉や汗ばんだ肌――それを思い出してしまい、その瞬間に僕は果てていた。

「っ……あ」

 勢いよく飛び出した精液が浴室の壁に飛び散り白く染める。肩で呼吸をしながら呆然とそれを見つめると、途端に自分がしてしまったことを実感して顔中に熱が集まっていったのを感じた。

「ごめんなさい……兄さん」

 ぽつりと言葉を零してから虚しさだけが残ったような気がした。

 その後しばらく放心状態のまま呆けていたが、いつまでもこうしているわけにもいかないと思い直して手を洗った後に浴室を出た。

(僕は何を考えているんだろう)

 自己嫌悪に陥りながら寝支度を調え布団に入る。さっきまでの行為を反芻すればまた同じことの繰り返しになってしまうだろう。そう思うと怖くて頭の中から必死に追い出そうとした。


 ***


 最近、夢に進がよく出てくるようになった。

 それはある種の悪夢と呼んでいいのかもしれない。

 僕が進を組み敷いて淫らな行為をしている夢――それは淫夢と呼ぶにはあまりにも背徳的でおぞましかった。

 最初の内はただ戸惑うばかりだったが、二度三度と似たような夢を見るうちに、これは自分の願望なのだろうと思うようになった。進に対して抱いている劣情を認めたくない一心で、見て見ぬふりをしていた感情が夢に現れたのだろう。

 今日もまた進が夢の中で僕を受け入れる。

 進の無邪気な表情を思い浮かべると胸の内側に暗い陰りが差した。進に対する愛情と、欲望によって掻き立てられた暴力性。それらを必死に抑え込もうとしても、どうしようもなく昂っている自分がいた。

『兄さん』

 夢の中で進が甘えるように囁く。僕はその声に抗えず、無抵抗な進の上に覆いかぶさり唇を奪った。柔らかい舌先を絡ませ合い唾液を啜り上げると脳髄まで痺れるような錯覚に襲われる。

 貪るように深く繋がっていく最中も進の目は閉じられていたが、ときおり瞼の裏側で眼球が微かに動いているのがわかった。睫毛の影が揺れ動く度に胸がざわつき、身体が熱を帯びていく。

 衝動に突き動かされるまま僕は進の衣服を脱がせていった。薄く割れた腹筋や綺麗に筋が通った大腿部――それらの造形は現実の進とまったく同じで、夢に生々しい現実感を与えていた。

 進の首筋に歯を立て、強く吸い付いて皮膚に跡を刻みつける。紅く咲いた印を見て征服欲が満たされていく心地良さを感じながら、僕はゆっくりと進を貫いた。


 目を開けると眼前に広がっていたのは見慣れた自室の天井だった。窓から射し込む月明かりがぼんやりと室内を照らし、エアコンから吹き付ける風がカーテンを揺らしている。

 ――またあの夢か。僕は安堵と落胆が入り混じった複雑な心境で起き上がった。頬を伝う汗が冷たい。額に張り付いた髪の毛が鬱陶しくて払い除けようとするものの、手がうまく動かない。

 下半身へと視線を向けると醜悪な光景が目に入った。自分の欲望がここまで醜い形をしているとは思わなかった。自分に対して強い嫌悪感が湧き上がり、涙が出そうになるほど情けなくなる。

 僕が進を抱いている――いや、犯していると言ってもいいかもしれない。そんな状況に興奮している自分が信じられなかった。

 枕元にあったティッシュペーパーを掴み取って乱暴に汚物を拭き取った後ゴミ箱に投げ入れる。そしてもう一度ベッドに倒れ込むと、掛け布団を頭から被って丸くなった。

(進……)

 罪悪感に苛まれながらも、心の中ではまだ求め続けている自分が憎い。いつまでも消えない進への愛情と欲望が入り交じった感情は僕自身を蝕んでいた。


 プロになってからは親元を離れ、球団の寮で生活することになった。それは進と距離を置くという意味でもちょうど良かったのかもしれない。

 めまぐるしく過ぎるプロ野球界での日々に追われているうちに、進に抱いていたやましい感情もそのうち風化してくれるだろう。

 次のドラフト会議で進もプロ入りを果たす。逆指名によって僕と同じ巨人軍へと入団し、再びチームメイトとして肩を並べることになるはずだ。

 いまの巨人は捕手の人材が不足している。きっと進はすぐ一軍に昇格して、僕とバッテリーを組むことになるだろう。そう思うととても誇らしい気分になった。

 そのときに進をまっすぐ見ることができるようにしないといけない。兄としてチームメイトとして進と接することができるように。


 ***


 兄さん達が卒業したあと、僕はあかつき大附属高校の野球部のキャプテンとしてチームを引っ張っていくことになった。

 重責に押し潰されそうになった時はいつも兄さんの背中を思い出していた。兄さんだったらこんなときどうするのか、兄さんであったならこんなことはしないだろう――そうやって自分の行動を律してきた結果が今の僕であるように思う。

 やがて夏の甲子園への予選が始まり、チームは順調に勝ち上がっていった。あかつき大附属高校にとって地区予選突破は当然のことだ。そのプレッシャーは計り知れないものであったけれど、僕たちはそれに応えることができた。

 甲子園への切符を手に入れて間もなくして、その報を聞きつけたテレビ局の取材陣が学校にやってきた。三年生にとってはこれも既に見慣れた光景で、報道陣の姿を見止めるなりチームメイト達が「進!」と僕を呼び寄せる。 

「あかつき大附属高校野球部のキャプテンの猪狩進くんですね! 今年の大会に向けての意気込みはいかがですか?」 

 アナウンサーにマイクを向けられて緊張してしまう。僕は頭の中で言葉を整理してから口を開いた。

「まずは一戦一戦勝利を積み重ねていきたいと思っています。チーム皆で力を合わせて全力を出し切るつもりです」

 当たり障りのない回答をすると報道陣は満足げな表情で頷いた。それからアナウンサーは少し間をおいて「それと……」と言葉を続ける。

「猪狩キャプテンはあの猪狩守選手の弟さんだそうですが、やはり志望球団は巨人ですか? 今年のドラフト会議では猪狩進選手をどのチームが獲得するかに注目が集まっているわけですが……」

 突然の質問に僕は戸惑う。そういった話題はいつかふられるとは覚悟していたが、まさか夏の大会のインタビュー中にくるとは予想していなかった。

「えっと……それはまだ決めかねています。そもそも声をかけていただけるとも限りませんし……」

「巨人で兄弟バッテリーの復活をと望むファンの声も多いわけですが、そこについてはどのようにお考えでしょうか? 是非お聞かせください!」

 畳み掛けるようにアナウンサーに詰め寄られ、どうしたものかと答えあぐねていると「進! そろそろ練習しようぜ」とチームメイトが助け舟を出してくれた。僕はその合図に応じて「失礼します」と言ってその場を離れた。

 

 兄さんがプロ入りを果たしてからというもの、世間の注目はより兄さんに集中するようななった。

 そのせいか僕にもマスコミからの取材が頻繁に来るようになった。兄のアマチュア時代の逸話であるとか、家族しか知りえない一面だとかを彼らは知りたくて仕方がないのだ。

 それは悪いことではないはずだが、兄さんの弟というフィルターを通して自分を見てくる人々が僕は苦手だった。それは以前からのことではあったけど最近は特にそう思う。

 彼らにとっての僕は『猪狩守の弟』であり『猪狩守専属の捕手』なのだ。彼らは僕が兄さんの付属品らしくふるまうことだけを期待していて、僕という個人のことなど目に入っていない。

 それでも彼らは兄さんの話を求めて僕にまとわりつく。その度に僕は困惑し苛立ちを覚えていた。

 兄さんは高校最後の甲子園を制覇して、そのままドラフト会議で一位指名を受けて華々しくプロ入りを果たした。そんな兄の弟である僕には否が応にも周囲からの期待が向けられる。

 だからこそ僕は誰よりも練習を積んで、誰よりも努力をしてきた。兄さんと比べて遅れを取らないよう、兄さんの顔に泥を塗らないよう、ずっと一生懸命だった。

 けれどいくら頑張っても世間からは決して認められることがないと痛感させられ、心にぽっかりと穴が開いたような喪失感に襲われた。

 ああ――また兄さんの背中を見ている。

 僕の目の前に兄さんが立っている。その背中を見ていると安心して頼ってしまう。だけど同時に羨ましくて悔しくもなるのだ。

 兄さんは僕の憧れであると同時に超えなければならない目標でもあった。そのはずなのに、今はもうその背中すら霞んでいるような気がしてしまう。

 僕にとって大切な存在であると同時に、一番遠い存在でもある兄さん。そんな兄さんを前にした時の胸のざわめきを思い出すと、なんだか泣き出したいような気分になる。

 僕は僕の意志で兄さんの隣に並びたいと思っている。兄さんと共に歩みたいと思っている。だけど兄さんは――僕のことを自分の隣を歩くに足りる相手だと思っているのだろうか?

 部室の椅子に腰をかけながらぐるぐると思考の渦に飲まれていると、ふいに携帯電話が着信音を奏でる。ディスプレイに表示されている名前を確認すると『猪狩守』の文字があり、慌てて通話ボタンを押した。

『久しぶりだな、進。地区予選は無事に勝ち進んだようだな』

 電話の向こうから聞こえる低い声にどきりとする。自分の心境を見透かされてしまったようで少し居心地が悪かった。僕は平静を装って「はい」とだけ返事をする。

『我が巨人軍の監督もお前には注目している。キャッチャーの獲得にも尽力しているし、次のドラフト会議が楽しみだな』

「……え?」

 不意打ちのような言葉に一瞬思考が停止する。

『プロでも進とバッテリーを組めるのを楽しみにしているよ。ボクたち兄弟でまたチームを優勝に導く――今度はプロの世界でだ』

 兄さんの期待に満ちた声音に心がざわつくのを感じた。

 兄さんは僕が兄さんを追ってくるのを当たり前だと思っている。僕が兄さんと異なる道を選択する可能性なんて考えてもいない。

 兄さんの影法師として兄さんの足元に佇み、兄さんの言うことを黙って聞いていればいい――そんな風に言われたような気がしてならなかった。

 僕を『猪狩守の付属品』として見ているのは兄さんも同じなのだ。僕は小波先輩や二宮先輩のように、兄さんと切磋琢磨し合える相手として看做されていない。

 僕はずっと『猪狩守の弟』でしかないんだ。そしてきっとこれからもそれは変わらない。

 高校を卒業してプロに入って――これからもこんな気持ちを抱えたまま野球を続けることになるのだろうか? 何年も? 引退するまで? それともその後まで?

 そんな恐怖にも似た感情が胸に込み上げてくる。

『進? 聞いてるのか?』

 何も答えない僕を怪訝に思ったのか兄さんが問いかけてくる。僕は咄嗟に「はい」と返事をした。

「いまはまだ甲子園のことで頭がいっぱいで、プロ入り後のことなんて考えていませんでした。忙しい中ご連絡ありがとうございます。じゃあ、また……」

 どうにか絞り出した声は上擦っていて、それが余計に情けなく感じた。僕は逃げるように通話を切ってから、携帯電話をロッカーの中へと押し込んだ。

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